国際遺産に指定されているアユタヤ。
1350年から1767年までアユタヤ王国の首都として栄え、17世紀には人口100万を超えた。
しかし、1767年、アユタヤはビルマ軍に徹底的に破壊され、現在は破壊された遺跡が過去の栄華を物語っているだけである。
それらの遺跡を一度は見学したかったが、1人ではなかなか行きにくい。
今回、友人が行きたいと希望したので、私も行くことに。
前日に、”ウェンディーツア”でアユタヤ1日観光コースを申し込んだ。
所要時間は約9時間、昼食付で1,000B/人。
帰りがクルーズのコースもあったが、時間の関係上で往復バスのコースを選んだ。
クルーズのコースはクルージングで昼食となり、所要時間は約10時間30分、料金は1,800B/人でした。
なお、現地に行って一番びっくりしたのは、日本人が非常に多かった事。
偶然だったかもしれないが、周囲を見渡すと観光客の半数以上が日本人であった。
<追記>
日本人町跡は、行って見る価値は全く無い。
何も残って無く(遺跡や町跡の類は全く無い)、ただ、石碑があるだけ。
バンパイン宮殿は、歴代王室の夏の離宮である。
アユタヤ王朝滅亡後、ラマ4・5世が再建されたそうです。
現在も離宮として使われているかは、不明(写真を撮るのに夢中で、ガイドに質問するのを忘れてしまった)。
湖(多分、人工湖だと思うが)の中や周辺に立つ建築物は、いかにも涼しげである。
左端写真の派手々な監視塔は、プラ・ティナン・ウィトゥン・タサナー。
イタリアから寄贈されたとガイドが説明したと思ったが、ハッキリとした記憶ではない。
普段は、この監視塔に誰でも自由に上ることが出来る。
これを紹介したのは、是非ここに上って高いところからバンパイン宮殿一帯を観てほしから。
中央、及び右の写真は、この監視塔から撮影したものです。
中央写真の中国風建物は、プラ・ティナン・ウェーハート・チャルムーン。
自由に交易することを許可された感謝の気持ちとして、華僑の方が国王に寄贈したものらしい。
中には貴重な品々が展示されているが、写真撮影は禁止されている。
右端の洋風な建築物は、プラ・ティナン・ワローバート。
用途は不明であるが、本館、又は迎賓館でないかと思われる。
ページの都合上あまり写真を載せることは出来ないが、この他にも数々の建築物があり、又、庭園自体も素晴らしい。
メモ
バンパイン宮殿に入るゲート脇に、民族衣装を着た女性が立っている。
ゲートを入る瞬間(入場者と民族衣装の女性が並んだ瞬間)カメラマンが写真撮影をする。
この写真は額に入れられ、退場する際に購入する(無論断ることも出来るが)。
写真を購入するつもりなら、意識して入った方が良い。
又、購入するつもりが無いならその旨を意思表示したほうが良いかも(無駄になったらかわいそう)。
なお、お値段は友人の話によると額縁と支持台付で150B(約400円弱)だそうです。
セイロン(現スリランカ)に留学後帰国した僧侶たちのために、初代ウトン(ウートーン)王が1357年に建立したと伝えられているアユタヤ最古の寺院です。
境内に有る涅槃仏。 本来は建物の中に安置されていたが、建物はビルマ軍に破壊されてしまった。 周囲には、当時の外壁跡が残っている。 ワット・ポーの涅槃仏と比較すれば見劣りするが、ワット・ポーより更に400年以上昔に作成されたことを考えれば、やはり素晴らしいものである。 |
高さ72mもある、巨大な仏塔。 この仏塔は19代ナレスエン大王が建立したもので、1592年〜93年にかけてビルマ軍と戦い、アユタヤを奪還した時の戦勝記念だそうである。 アユタヤ東北部にビルマ軍が建立したワット・プー・カオ・トンに対抗して、「もっと高い塔を!」と命じて建てたそうであるが、残念ながらワット・プー・カオ・トンには勝てなかった。 |
この寺院は単なる遺跡ではなく、現在も使用されているお寺である。
その為か、他の遺跡よりも保存状態が良く、また修復も進んでいるようである。
御本尊の写真は、お坊さんに失礼にならないよう座って撮影した為に前の人の頭が入ってしまった。
過去の栄華を物語る、荒れ果てた遺跡。
いたるところに、過去の戦争の傷跡が残っている。
この広大な寺院跡は、敷地が草生して仏塔は苔が生し、火災の痕と思われる黒い煤のようなものが一面に付着している。
当然ながら修復作業を行っているが、あまりにも遺跡が多い為か完璧とはいえない。
しかしながら、修復済みの仏塔等を見ると最盛期の人口が100万人の大都市の面影がうかがえる。
ここで一番驚愕を覚えるのは、これらの頭部が無い仏像群であろう。
本当に、異様な感じがする。
ガイドの話によると、占領したビルマ軍が宝石等の宝物を戦利品として持ち帰る為(宝石等を仏像の頭部に収納していたそうである)に、頭部を切り取って持ち帰ったとのこと。
これらは全て数百年前の出来事であるが、今でも一般のタイ人はビルマ(現ミャンマー)の人々に嫌悪感を持っているようである。
もっともタイ軍がビルマに侵攻したときは、同様のことをしたのではないかと思うのだが・・・
この写真は、アユタヤの観光パンフレットに必ずといっていいほど掲載されている菩提樹の根に包まれた仏像の頭部。
あまりにも有名である。
なぜこの様になったのかは不明であるが、多分、ビルマ軍が戦利品として仏像の頭部を持ち帰る際に誤って落としてしまった。
それが偶々菩提樹の根元であり、何百年の長い歳月が経つにつれ、菩提樹の生長と共に根に包まれていったのであろう。
それにしても、偶然だけではとても言い表せない神秘的な造詣である。
タイ人は、この仏像に対して非常に深い信仰の念を持っている。
当然ガイドも、仏像と共に記念撮影をする際は、仏像に失礼がないようにしゃがんで仏像よりも頭が下になるように注意している。
にもかかわらず、立ったまま(当然仏像よりも頭が上の状態で)記念撮影した写真を平気でWebで公開している人達が多数いる。
当然それらの写真は世界中(タイ人も)の人達から見られており、自分の非常識さを世界中に広めている。
しかし、立ったままでの写真撮影はまだ良い方であった。
ワット・プラ・マハタート見学後、帰路にて仏像の前を通りかかったら、中年のオバサン二人がVサインを出しながら片足を後ろに上げ仏像の前に立って記念撮影中。
中年のオジサンがカメラマンらしいが、問題はオバサンたちのポーズ。
本人たちは可愛らしいポーズと思っているらしいが、仏像よりも頭が高い位置で仏像にお尻を向け、更に有ろう事か足を仏像に向けている。
タイでは、足を向ける事は非常に非礼な事とされている。
私はすっかり呆れ返ってしまったが捨て置くわけには行かず、オバサンたちに強く注意をした。
するとオバサン言わく、「あらそう。ガイドが言っていたのはそういう意味だったの。」
まあ、これで判ってくれたかなと思い、その場を後にした。
しかしなんとなく気がかりなので、ふと後ろを振り返ったら、・・・・やっぱり同じポーズで写真を撮っていた。
これらの人達は金に物を言わせ、他人の迷惑や他国の仕来たり、風習を無視してやりたい事を遣っている。
それらを見ていると、同国人として本当に恥ずかしくなってしまう。
ちなみに右の写真の場所でも、階段以外の場所からよじ登りその姿を写真撮影してもらおうとした日本人の若者(バカ者)が遺跡の警備員に警告されていた(もっとも、本人は何で怒られているのか判らなかったようだが)。
外務省へお願い
こういう非常識な人達に、パスポートを発行しないで貰いたい。
日本の辱になるので、国外へは出さないでほしい。
2003/02に、日本から来た友人の観光案内で再びワット・プラ・マハタートを訪れた。
友人より一足先にワット・プラ・マハタートのゲートを出ると、そこには何時もの様にお土産売り達が待ち構えている。
声をかけてくる売り子たちを無視しながら友人を待っていると、片言の日本語で”コノ オカネ ハ ホンモノ ?”と言いながら手のひらに100円硬貨や50円硬貨を広げて子供の売り子が近づいてくる。
確認した後に”本物だよ”と答えると、1000円分の硬貨を差し出し”エクスチェンジ バーツ”と言う。
”自分はチェンマイに住んでいるので日本円は必要ない”と拙い英語で答えると、大人の売り子が近づいて”バンク コイン エクスチェンジ ノー。 オカネ
ツカエナイ カワイソウ。”と。
仕方がないので交換してやろうと思い、レートはいくらかと聞いたら”1 エン 3 バーツ。 1000 エン ダカラ 3000 バーツ”と言う。
私は”No! 3円1バーツ”と言うと、その子は”ソウ ソウ 3 エン 1 バーツ、 10 バーツ 30 エン、100 バーツ 300 エン、
ダカラ 1000 エン 3000 バーツ デショ”と言い、3000バーツを要求する。
私は一瞬、自分の計算が間違えてしまったのかと思ってしまった。
しかし、相手の言葉をじっくりと反復すると、途中で貨幣単位を入れ替える巧みな言葉の罠に気付いた。
結局、これは両替詐欺と判断して両替を拒否。
しかしその数分後、他の売り子から全く同じ手口の両替話を持ち掛けられてしまった。
どうも、この一体は組織的な両替詐欺が行われているようである。
また、日本人観光客を対象とした巧妙な手口から、この手口は日本人が関与しているような感じがする。
いずれにせよ、タイの貨幣単位に疎い日本人観光客は十分な注意が必要である。
左右に王宮跡を見ながら、ワット・プラ・スリ・サンペットの方へ歩いていく。
王宮とは、アユタヤ王朝を開いたウトン王以来代代の名君が住んだ宮殿。
しかし、1767年のビルマ軍侵攻の際、全てが焼き尽くされてしまった。
今は、貯水池や白象を飼っていたと言われる柵。
及び、主なパビリオンにある紹介文のプレートのみが当時の壮麗な姿を偲ばせるだけとなっている。
宮殿の敷地そのものに興味がある人は別として、王宮跡は特に見るべきものは殆ど無い(それほど完璧に破壊され尽くされている)。
王宮跡の向こう側に見える塔が、ワット・プラ・スリ・サンペットである。
ワット・プラ・スリ・サンペットはアユタヤのシンボル的寺院で、バンコクのワット・プラ・ケオ王宮付属の寺院であったと言う。
寺院内には3基の大きな塔があり、それぞれに王家の3兄弟が祭られていたそうである。
しかし、1767年にビルマ軍の攻撃により重さ170kgの純金に覆われた高さ17mの仏陀の立像と共に焼失してしまったとの事。
現在の3基の塔(チェディ)は、バンコク王朝中期の再建されたものだそうである。
左側の写真は、その内の1基である。
兄弟のうち誰を祭った塔かは不明であるが、左側の階段にいる人と比較すればかなり大きな塔であることがわかると思う。
本当はもっと撮るべき建物はたくさんあるのであるが、デジカメのメモリ容量が少なくなったのでカットしてしまった。
皆さんも、旅行時はフイルムやメモリに余裕を持たせましょう!!
1956年に再建された、きらびやかな寺院である。
このときには暑さで大分まいっていたためか、美しい建物の撮影は失敗しており、御紹介することは出来ない。
左側の仏像は1603年に安置された本尊で、高さは18m、ブロンズ製の仏像としてはタイ最大のものである。
ビルマとの長い戦禍の中で何度も傷つき、壊されかけながらも住民らにより補修が重ねられ、現代まで奇跡的に形が残っている。
これらは、住民たちの厚い信仰心が成せる業であろう。
一言
この仏像は非常に大きい為、撮影はなかなか困難です。
もし、この写真の原画がほしい方は、ご連絡ください。
Last update : 2022-07-18T19:42:14+09:00 (Monday)